宮崎駿と宮崎吾朗、実は仲良し!?二人の関係がよく分かるエピソードまとめ!

「ジブリ映画監督の宮崎駿と息子の宮崎吾朗って仲いいの?」
「ふたりの関係ってどういうものなんだろう?」
「駿と吾郎の違いってあるのかな?」

アニメ映画の巨匠、宮崎駿とその息子の宮崎吾朗の仲や関係って気になりますよね。

2023年公開のジブリ映画「君たちはどう生きるか」で監督を務めた父である宮崎駿(みやざき はやお)監督。

そして息子である宮崎吾朗(みやざき ごろう)さんも2021年に「アーヤと魔女」の人気作を作るなど、アニメーターとしての頭角を現しています。

そんな父と子である二人の関係はいいのでしょうか?

またこれからのジブリはどうなるのでしょうか?

親子の関係を紐解きながら、一緒に考えてみましょう!

 

 

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宮崎駿と宮崎吾朗|実は仲良し!?

表現者とか芸術家ってどこか変わっていて我が強いような印象がありますよね?

宮崎駿と宮崎吾朗の関係もどこか複雑、というかいいイメージは正直ないんですが、

ふたりの関係性を羨ましがるような声があるのも事実です。

実際のところどうなんでしょうか?

 

結論から言うと、仲がいいとか仲が悪いとかいった次元は超越している関係のようです。(それを良いと捉えるか悪いと捉えるかはあなた次第です。。w)

わかりやすく、エピソードを紹介していきますね!

 

 

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宮崎駿と宮崎吾朗|二人の関係がよく分かるエピソードまとめ!

宮崎駿と宮崎吾朗のモノクロ画像

 

わかりやすく7つのエピソードにまとめました。

 

1.宮崎駿と吾朗|チビ助時代
2.宮崎駿と吾朗|実はアニメーターに憧れる
3.宮崎駿と吾朗|ジブリ美術館の奮闘
4.宮崎駿と吾朗|ゲド戦記のプレッシャー
5.宮崎駿と吾朗|ゲド戦記のやめたほうがいい
6.宮崎駿と吾朗|コクリコ坂の不安
7.宮崎駿と吾朗|アーヤと魔女の称賛

 

一つひとつがお互いの思いが読み取れる面白いエピソードになっています。

良かったら最後まで読んでみてください。

 

 

1.宮崎駿と吾朗|チビ助時代

きれいな空をバックに遊ぶ子供二人

幼少期、宮崎吾朗は父である宮崎駿から「チビ助」と言われ可愛がられました。

 

「こいつのために俺は生まれてきたんだ」

 

宮崎駿本人もそう言うほど息子の吾朗を可愛がりました。

吾朗少年もお父さんの作る作品が好きでよく観ていたそうです。

小学校5年生の頃父が忙しくなり、ほとんど家に帰ってこなくなります。

理由は1978年4月4日〜10月31日に放送されたアニメ「未来少年コナン」です。

宮崎駿は原画やアニメーション設定など全てを手掛けます。

もともと”妥協”という言葉は辞書にない人ですが、「チビ助」に見せるために作っていたので、余計にクオリティーは下げられないのです。

そんな「チビ助」こと宮崎吾朗は”未来少年コナン”をよく観ていました。

 

直接そばにいるよりも、アニメーションという作品を通して息子とてコミュニケーションを図るところが宮崎駿という人物を象徴しているような気がします。

 

 

2.宮崎駿と吾朗|実はアニメーターに憧れる

シャツを着て腕を組む宮崎吾朗

映画「風の谷のナウシ」が宮崎駿の最初のヒット作になった頃、チビ助は17歳の高校生になっていました。

 

「漫画家やアニメーターになりたい」

 

という思いを持つようになります。

昼夜アニメーションの仕事に打ち込む父や作品への憧れもあったのでしょう。

しかし、父という高すぎる才能の壁。

母親からは、

 

「才能の世界」

 

と一蹴されてします。

事実上の戦力外通告です。。

なぜ息子の夢を否定するようなことを言ったのでしょうか?

 

理由は2つ考えられます。

1つ目は母親自身も実は優秀なアニメーターであり絵本作家なのです。

この「才能の世界」の厳しさを知っていたのでしょう」。

 

2つ目は、そんな優秀な母親でさえ結婚後に専業主婦に甘んじてしまうほどの宮崎駿の存在感です。

加えて才能の塊である宮崎駿ですら不遇の時代があったほどです。

「才能の世界(だから厳しいよ)」と伝える心境も理解できる気がしますね。

 

しかし、宮崎吾朗青年には彼の使命があったのです。

 

 

3.宮崎駿と吾朗|ジブリ美術館の奮闘

三鷹の森ジブリ美術館の外観

大人になった宮崎吾朗は建設コンサルタントになっていました。

 

そんな彼の使命の一つが、ジブリ美術館の建設。

建設設計者と宮崎駿の間に入ってあくせくする仕事です。。w

 

なんであくせくしなければならないかというと、宮崎駿が駄々をこねるからです笑

それも超がつくほど理不尽にw

 

ジブリ美術館建設にあたって宮崎駿は木造が良いと言います。

しかし当時美術館のような公共的な建物は木造では作れない。

なぜなら法律で禁止されているからです。

(そうか仕方ないよね。)とはならず、、、

「なぜだ!何だその法律は!」と言い張る宮崎駿。

そしてその間に入る息子吾朗。

 

そんなやり取りを何回も重ねようやく完成したのが「ジブリ美術館」です。

宮崎吾朗がいなかったら、もしかしたら存在しなかった美術館かもしれません。

 

 

4.宮崎駿と吾朗|ゲド戦記のプレッシャー

ゲド戦記

ジブリ映画「ゲド戦記」の監督を務めたのは息子である宮崎吾朗です。

なぜ宮崎駿ではないのか?それは、宮崎駿は年を取りすぎていたからです。

 

「ゲド戦記」は宮崎駿が1番影響を受けた作品と公言していて原作者のル=グウィンに直訴するも映画化は断られてきた作品でありながらも、

若い頃の宮崎駿は不遇時代を何年か過ごしているので、知名度が足りなかったんですね。(今ではファンの多い映画「ルパン三世-カリオストロの城-」が当時はヒットしなかったり。。)

 

ところが2001年の宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」が世界で大ヒットしました。

それがきっかけでなんと原作者ル=グウィン自ら映像化を打診してきたのです。。!

 

満を持しての映画化だったので、「ゲド戦記」作成当時、息子吾朗のプレッシャーは相当なものだったと思います。

なぜ「ゲド戦記」作成を許諾したのか?答えはシンプルなんですね。

 

それは、小さい頃から「アニメーターになりたかったから」。

 

父の才能がずば抜けていようが、母親から「才能の世界」だと戦力外通告されようが、その想いは消えることはなかったんですね。

なので、大きなプレッシャーの前にも”YES”と言うことができたのだと思います。

 

 

では実際に完成した映画の結果はどうだったのでしょうか?

 

 

 

5.宮崎駿と吾朗|ゲド戦記のやめたほうがいい

タバコを吸いながら息子宮崎吾朗初監督作品ゲド戦記の批評をする宮崎駿

実は2006年の公開当時、ゲド戦記の興行収入は「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」と「もののけ姫」に次ぐ4番目に位置しているのです。(興行収入:約78億円)

ジブリの総合プロデューサーである鈴木敏夫(すずき としお)は「2006年最大のヒット作だ!」と語っています。

それに対し父親である宮崎駿はこう言います。

 

「1本作れたから良いじゃん。それでやめたほうが良い。」

 

完全に冷めてます。。w(お父さん、、息子さんはあなたのプレッシャーにも立ち向かったのですよ、、、!w)

 

そもそも息子宮崎吾朗が「ゲド戦記」の監督をやることになったのは、プロデューサーの鈴木敏夫が誘ったからなんですね。その理由が、

吾朗が宮崎駿のプレッシャーに負けずに、最後までやり抜くことができる唯一の人間であるということをジブリ美術館の経験から感じたのだ。

はーとぼいるどワンダフルより引用

というものです。

 

宮崎吾朗は「ゲド戦記」も見事にやり遂げているんですね。

しかしこの作品に関しては吾朗本人も納得がいっていないらしく、

本人曰く「逃げ回ってた」時期が5年ほど続きます。

 

つまり、宮崎吾朗本人は次回作を作りたいと思うような気分にさせる映画ではなかったわけです。

 

 

6.宮崎駿と吾朗|コクリコ坂の不安

宮崎吾朗の仕事ぶりが心配な宮崎駿

宮崎吾朗監督の2作目となる「コクリコ坂から」。

この映画の作成中、宮崎駿は不安と戦うことになります。

なぜなら、1作目の「ゲド戦記」が納得がいっていないからですね。安心して任せられるとは思っていないわけです。

ただ面白いのは作成者に対し怒鳴ったり文句をつけるようなことはせずに、控えめに、ただとても気になる、といった具合に声をかけるところです。

この状況は「NHK ふたり/父と子の300日戦争」という形で映像化されています。

 

見守らなければいけない、でも黙っていられない。

宮崎駿監督の人間味が出ていてとても面白いですね。

 

 

7.宮崎駿と吾朗|アーヤと魔女の称賛

宮崎吾朗の作品をアーヤと魔女で初めて宮崎駿は称賛した

最後に映画「アーヤと魔女」の称賛です。

不安とプレッシャーに晒されながらも息子宮崎吾朗にも称賛の瞬間が訪れます。

2021年公開の映画「アーヤと魔女」の監督を務めた時です。

 

面白いんです。本当に。元の作品が持っているエネルギーをちゃんと伝えてると思うんだよね。本当に手放しで褒めたいぐらい、あれを作るのは大変だったと思います。ストレートにアーヤが負けてたまるかというね。ここにいてやろうという。それが貫かれて。映画を作る一番の覚悟をちゃんと踏み外さないでやってたから、本当に良かった。だから、自分の息子だからとかなんとかっていうのは、もうどうでもいいことでしょ?鉛筆で書かないで、CGで描くことによって解放されてるよね。(「宮崎駿ロングインタビュー」YOUTUBE東宝MOVIEチャンネル2021年8月17日より)

はーとぼいるどワンダフルより引用

ついに「面白い」の一言がでましたね。

この称賛に対し宮崎吾朗は

 

「年をとったからですかね」

 

と少し照れ隠しをしながらも本心は嬉しい、もしくは安堵しているのではないでしょうか?

息子さんである宮崎吾朗は父である宮崎駿を次のように語っています。

発想が豊かで理屈じゃないところで映画を作る人。思いつくままに絵を描いて『どうしよう、どうしよう』と言いながら破綻するギリギリのところでまとめ上げる。アドリブで作っている感じが天才的」。

スポーツ報知より引用

また「それしか生きがいがない」とも言っています。

 

 

世間の声

 

 

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まとめ

宮崎駿と宮崎吾朗、実は仲良し!?二人の関係がよく分かるエピソードまとめ!というテーマでお伝えしました!

少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

父と子。

父親からすれば息子だからこそ評価しづらいと思います。

息子からすれば少年の頃に抱いてしまった夢(アニメーター)を頑固な親父に振り回される運命。

いわゆる芸術家の親子関係や愛情というのは、傍から見ても面白い関係だなと思います。

とても興味が湧く関係。素晴らしいですね!(他人事w)

 

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